電車や病院の待合室で、スマホをじっと見ている子どもとママ。
傍目には
「小さな子どもにそんなもの見せて…」
と否定的に映っていることでしょう。
そこで子育てとスマホについて考えてみました。
目次
子育て中のスマホは強い味方だった!
実際、私も独身のころは冷ややかな目で見ていました。
「ママが相手してあげたらいいのに、かわいそう」って。
ところが数年後、実際に自分が子どもと外出するようになってから初めて、何度となく見かけたあの光景の意味が分かるようになりました。
苦肉の策だったんだなぁ、と。
公共施設で最後の切り札としてスマホを使う
- 子どもが同じ場所でずっと静かにしているのは、無理な生き物だということ。
- 「静かにしようね」と子どもにいくら言っても通用しないこと。
- 周りに迷惑をかけちゃいけないという緊張感とプレッシャー。
- 手持ちのおもちゃでは、どうにもならない。音が鳴って余計にうるさい。
そうして止むなしにそっと差し出すのが、スマホでした。
以前見かけたママも、試行錯誤からの最終手段だったんでしょうね…お気持ち察します(‘A`)
電車なら降りる駅まで。病院なら順番がくるまで。とか。
「あと少し静かにしていてくれたら助かる」
という状況でスマホを使うのは悪いことでしょうか。
怒られる子も、疲労し爆発寸前になるママも、迷惑そうな顔をする人々もいなくなるのなら、それは誰の精神的に良いことなんじゃないかなあと思うのです。
「~の間だけスマホ」と決めて使い分ける。
公共施設の他に役立ってくれたのが、家事の最中。
食事の支度やアイロンがけのタイミングで周りをうろうろされると、火傷の心配が付きまとって、めちゃくちゃ怖かったです。
好きなTVでもやっていたら見せるんですが、うちはDVDレコーダーがまだ無かったため、手軽に興味を惹きつけておいてくれるものがスマホでした。
その際ルール付けていたのが
「これはママのものです。勝手に触らないこと」
「ママのやることが終わったら、おしまいにして一緒に遊ぼうね」
の一言。
ルールを決める前に「そろそろやめようね」と言っても全然聞かないことがあって、やめさせるのに苦労したんです。
色んな音や映像が流れるし、楽しいオモチャですもんね。
それに大人でもずーっと触っているのに、自制心がまだ育っていない子どもが区切りをつけるのは難しいものです。
繰り返し言い聞かせることで、勝手に触ることもなくなり、おしまいを覚えてくれました。
スマホは外界と繋がる唯一のツール。
ワンオペ育児というワードが最近になって出てきましたが、私もそんな感じでした。
密室育児をしていると他人と話す機会が圧倒的に減るんですよね。
想像以上にストレスですこれ。
社会との関わりがないとひとりぼっちな気がしてくるんです。
いくら子どもが可愛くても、言葉のやりとりが円滑でない相手だとかなり疲れます。
深夜の夜泣きなんかは殊更で、こんな時間にこんなことをしているのは自分だけじゃないだろうか、なんて涙がこぼれたこともありました。
翌日も仕事を控えている夫を起こすのも抵抗がある、友人にも生活があるから付き合ってもらうのも気が引ける。
そんな時にスマホを覗くと、ネット世界には自分と同じく夜泣きに耐えるママがいた。とても心強かったです。
お互いに愚痴り、励ましあい、気を紛らわせる。今にも投げ出しそうになる気持ちが消化出来てラクになりました。
便利になった現代だからこそスマホを使っていこう。
子育て中のスマホ使用は賛否両論あります。
私も過去は否定的だっただけに、今はどちらの言い分も分かるつもりでいます。
例えば公園で子どもを放置してアプリゲームしているママにはドン引きしてました。
それ今じゃなくてもいいやんって(笑)
ただそれも、もしかしたらですよ?
家ではママにべったりで身動きとれないけど、公園だとひとりでよく遊んでくれる。
そんな毎日の繰りかえしで息抜きする場が「イマココ」しかないのなら、それはしょうがないかなって。
そんな風に思うんです。
他人の家庭の事情なんて分かるわけもないのに、子どもの面倒をちゃんと見ない母親失格! と叩くのはお門違いだなと。
息抜きが出来なくてストレスでいっぱいいっぱいになり、子どもに当たる方が不健全ではないでしょうか。
誰かに相談したり、気軽に調べ物ができたり、好きな音楽を聞けたり。
自分だけじゃなくて子どもと一緒になって遊ぶアプリもあります。
スマホに子守りをさせるのではなくて、自分がきちんと子育てをするなかで要領良く使えば、こんなに頼りになる味方はいません。
コントロールすることで上手に使いこなしていこうじゃありませんか(´v`*)
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